last updated 1997/07/06
第52話(全130話)
洞窟の夜(3/4)
「怖い? マリカが何を怖がってるって言うの?」
何があったってぜんぜん平気みたいに見えるのに。剣の腕も確かなんだろうし、ピートの何
倍も敏捷に体を動かせる。あのドラテロとだって互角に渡り合えるのに、いったい何が怖いっ
て言うの?
「何をって、すべてよ。あたしの周りのものすべて。何もかもが怖いわ。だって、あたしはは
じめてひとりになったのよ。生まれてはじめて護衛もなく城の外に出たの。剣と毛布とナイフ
だけ。持ってるのはそれだけで、あとは何もなし。姫という地位も身分も持たずに、あたしは
世界の中に飛び出しちゃったのよ。怖がるなって言うほうが無理だわ。右へ行くのも左へ曲が
るのも全部あたしの判断で進むのよ。誰かが決めてくれた道を進むんじゃないの。前もって下
調べをしておいてくれた道をしずしずと進むわけじゃないんだわ。もし間違った方向へ曲がっ
ちゃっても、それは全部自分のせいで、誰に責任をなすりつけるわけにもいかないの。すべて
がそうなの。何でも自分で決めて、決めたことにはすべて責任を取らなければならないのよ」
なるほど。とピートは思った。
だからマリカは真っ直ぐに進もうって宣言したんだ。それは決して後戻りはしないっていう
決意の現れだと思ってた。だけどそうじゃない。本当は、間違った道を選ぶのが怖くて、ただ
真っ直ぐにしか進めなかっただけなんだ。右にも左にも曲がる決定を自分に下せなかっただけ
なんだ。
それを知ると、ピートはどうして月明かりの中のマリカが、あんなにはかなげに弱々しく見
えたのか、その理由がわかった。月の光は彼女の精一杯の虚勢の下に隠された素顔を照らし出
していたんだ。
「マスター、あなたが元のままのマスターだったら、ここで曲がるべきです、とか、そっちへ
行くべきではありません、とかいちいちそう口を出してたはずだわ。ただでさえ道を選ぶ決定
を下すのが怖いのに、そんなふうに横から口を出されたら、あたしすごく苛々すると思う。あ
たしは自分の進みたいように進むわ、放っといて。そんなふうに怒鳴ってたと思う。そしても
のすごくとげとげしい目で風景を見ていたと思う。どんな風景も道も風も、全部があたしに、
さぁどうする。どっちにする、決めろ、決めろ、決めて責任を取れってそう囁いてるように見
えたと思う。そんな風景にあたしは敵対することでしか向き合う方法がなかったと思う」
確かにそうだろう。自信がないのに、それでも精一杯の決断で道を選んでいるのに、横から
何のかんのと口を出されたら、それは助けになるというより、さらにプレッシャーをかけるだ
けのことにしかならないだろう。そんな人の心の綾を解するほど、マスターというのはデリケ
ートな機械ではないのだろう。正しい選択をすれば黙って従い、間違えればブーッとブザーを
鳴らしたりするんだ、きっと。
そしてピートは気づく。
あの川でワーターとチイジイが戦っているのを傍観していたマリカのことを、ひどく冷たい
と感じたけれど、マリカはあの時、自分の決断に必死で責任を取ろうとしていたんだ。真っす
ぐ進むと決めたのはマリカだ。だからワーターは川を渡った。もしマスターがちゃんと機能し
ていたら、川の中に潜むチイジイの気配を察知してマリカにそう警告していただろうし、警告
しなかったとしたら、ワーターの死はマスターの職務怠慢のせいだと責めることもできたろう
。けれど、あの時点では、すべての責任はマリカに帰せられていた。自分の判断ミスで徒らに
ワーターを危険にさらしたことへの責任を、マリカは果たそうとしていたんだろう。だからあ
んなにも冷たい態度で、ワーターをみつめていたんだ。ワーターの死を受け入れることの辛さ
に耐えること。それがマリカが自分のミスに下した罰だったんだ。
城を捨てて自分を高めるためにひとり旅に出る、というのは、すごく立派ですごくカッコい
いことのようにピートには見えたけれど、じっさいは絶えず自分の限界と向き合わされ続ける
拷問に近いものなのかもしれない。城育ちのお姫さまには、たったひとり、という現実の重さ
はぼくなんかよりもずっとこたえるだろう。いつも護衛や肩書きに守られていたわけではない
ぼくだって、ひとりきりで風景の中に立ち、途方に暮れてしまっていたんだもの。お姫さまの
孤立感というのはその何倍も大きいだろう。
「ひとりきりで風景の中に飛び出したのに、その風景と敵対するような関係しか築けないとし
たら、あたしにはもう味方は何もないってことになるのよ。世界の只中にひとりぼっちだった
と思うわ」
マリカは震える自分を抱き締めるように両手で肩を抱いた。月明かりに浮かぶその表情は、
けれどやさしくマスターをみつめていた。
「だけど、そんな怖がっているあたしに、世界は、運命は、贈り物を授けてくれたの」
「ぼく?」
「ええ、あなたの故障がいま、あたしにはすごくラッキーな贈り物だと思えるの」
「どうして?」
「どうしてって、あなたがあたしにそう問いかけ続けてくれたから、あたしは世界を敵に回さ
ずにすんだのよ」
「え?」
「あれは何? どうしてそうなってるの? 何故あんなことしてるの? これは何ていう名前
? あなたは今日一日、ほとんどそれしか口にしなかったわ。そしてあなたは目に映るものす
べてに、わぁって声を上げて、目を丸くして、心から驚いて、そして面白そうにみつめるの。
そんなあなたの質問に答え続けることで、あたしはあたしなにりにもう一度この世界を一から
ひとつずつ確かめ直すことができた。木々の名前。その由来。動物たちの名前。その生態。風
の香り、花の色、そして星の仲間とそれにまつわる物語。もしあなたが尋ねなかったら、あた
しはイーシャという星のことなんてまるで気にかけなかったろうし、イーシャの物語を思い返
すことだってなかったはずなの」
(つづく)
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